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いろいろ書きます

技術の問題と社会・文化の問題

あるソフトウェア工学者の失敗ー日本のITはなぜ弱いのかーというPDFを読んだ。元京都大学文学研究科教授の林晋氏(著作以外では八杉晋と名乗っているそう)によるレポートである。

 

https://shayashiyasugi.com/wwwshayashijp/myfailures.pdf

 

何度も問題にされている日本のIT問題だが、その原因はこのレポートを読みさえすれば一瞬で理解できると思う。ぜひ読んでほしい。

 

ここからは自分がこのPDFを読んで得た感想を書いていきたい。

 

要約

ソフトウェアは数学的存在から、社会的文化的存在に変化した。社会が根本から変化しない限りにおいて日本のITが活気を帯びることはない。

感想

筆者の苦悩と絶望がよく理解できる文章だった。日本のITを育てようとその方法論を模索すればするほど、根本的な問題の存在に気づき、その解決不可能性に希望をどんどん失っていく。次の文章によく表れている。

 

これは実に絶望的な結論だった。また、この結論は、日本社会のために少しは役立つことを願って行っていた動向センターでの活動は役に立たないということも意味していた。人材育成の前に、まずは、日本社会、その成員の考え方を根本的に変えなくては、どうしようもない、そうでない限り、日本ではITが育たない、というのが私の結論なのである。科学技術政策というようなものでは、どうしようもないのである。

 

「どうしようもない」。正直この言葉を研究者から聞きたくはなかった。研究者とはいつでも前を向き解決策を模索するような人種であると勝手に思っているからだ。ただの文学部の教授がこのような結論に至ったのであれば、そこまで問題ではない。ただ林さんは50歳まで実際にソフトウェア工学の先端で活躍してきたような一流の人材の一人である。その彼にここまで言わしめたのであるから、日本の状況は相当ひどいということが容易に想像できる。

 

僕に何ができるのか。僕は早稲田大学政治経済学部を一年留年して卒業する予定の23歳の人間である。とても優秀とは言えないし、僕がどうしたからと言っても日本の状況が変わるわけではない。でも何かできるのではという思いもある。

 

正確な引用ではないが、カール・ユングが「個人の問題を解決することがすなわち社会の問題を解決することである」と言っていたような気がする。もしその言葉を信じるのであれば、自分だけでもこのPDFの中で筆者が強調している「失敗の文化」を内化することができるのではないか。

 

先程こんなツイートをした。

 

 

「不出来な」「優秀ではない」人間が発言することが重要なんだ。失敗しても、いつでも楽しくプログラムを書くことができれば、そんな文化を日本に醸成することができるのではないか。

 

みんなの問題を考える前に自分の問題から。これはJordan B Petersonから学んだことである。

 

絶望しかないのかもしれないが、その絶望に笑顔で突っ込んでいきたい。